大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和37年(ラ)2号 決定

抗告人(被審人) 十和田観光電鉄株式会社

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告代理人は「原決定を取消す。抗告人(被審人)を処罰せず」との決定を求め、その理由は別紙抗告理由書ならびに追加抗告理由書記載のとおりである。

しかして右抗告理由の要旨は、原決定は一、中央労働委員会の確定命令の趣旨を誤解して審理を尽さない(別紙抗告理由書三ないし五、追加抗告理由書一ないし四)、二、岡山安太郎、松田義実が従事する労働の内容に関する事実誤認(抗告理由書六)、三、抗告会社の経営権に対する不当干渉(同七、追加抗告理由書五ないし七)、四、処分過重(抗告理由書八)の違法があるというにある。

よつて右四点につき順次これを按ずるに、

本件確定命令(第一、第二号証)はその主文ならびに理由によれは、抗告会社に対し、抗告会社が昭和三三年七月二三日附人事異動に際して、同日まで抗告会社鉄道部保線課に属し三本木線路班副工手長として勤務していた岡山安太郎、ならびに同じく鉄道部運輸課に属し三本木駅小荷物係として勤務していた松田義実の両名を同会社企画室勤務に配置転換した処置を取消し、同年一一月三〇日までに右両名を夫々右原職に復帰させるべきことを命ずる趣旨であることが明らかであるところ、一件記録によれば抗告会社は昭和三五年五月一一日岡山に対し原職である鉄道部保線課に、松田に対し同じく鉄道部運輸課に転勤すべき辞令を発令交付したものの、その実は即時に口頭による社長の業務命令で右両名を右企画室に出向せしめ、その後も引続き依然として企画室の現業部門である営繕関係の業務即ち同会社の施設拡張工事に雑役として従事せしめており、従つて形式的に辞令面では本件確定命令を履行したかのように装いながら、実質上は右両名を原職に復帰せしめず、右確定命令に違反している事実が明らかに認められる。

原決定が抗告会社につき右確定命令不履行による労働組合法第三二条後段第二七条に該当する責任ありと認定した理由も右と同趣旨であつて、抗告理由一および二の違法はない。抗告会社は別紙追加抗告理由書の一ないし四において、岡山安太郎につき昇給、賞与支給の事実を挙げているが、これらの事実がありとしてもなんら右確定命令違反の責任を回避する理由とはなり得ない。

また三の抗告理由についても、一般論として会社がその経営権にもとずき適宜業務命令を発する自由のあることは兎も角、本件事案はこの一般論をもつて律し得る埓外にあるものとの判断を含めて前記認定がなされているのであつて、採用の限りではない。なお、別紙追加抗告理由書六には、松田が赤緑色盲なる旨の記載があるが、たといその事実ありとするも、同人の原職は前記の如く小荷物係であることに徴し、論ずるに足りない。

四の処分の過重か否かの点については、当裁判所も原決定同様、抗告会社を岡山および松田に対する各確定命令不履行につき、それぞれ過料一〇万円に処することを相当と認める。

よつて民訴法第四一四条、第三八四条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 村上武 上野正秋 新田圭一)

(別紙)

抗告理由書

抗告人 十和田観光電鉄株式会社

右の者に対する青森地方裁判所昭和三六年(ホ)第二号不当労働行為救済命令不履行過料事件の決定に対する抗告理由は左の如くである。

一、原決定の理由は左の如くである。

「昭和三五年五月一一日右両名をその原職に相当する職場である岡山については鉄道部保線課に、松田については鉄道部運輸課の各勤務を命じていたのに拘らず、現実には右の職務に従事せしめないで、企画室所属の従業員と共に三沢(当時古間木と称した)営業所拡張工事や、同営業所を中心とする三沢十鉄観光センターの建設工事に、人夫などとして従事せしめていたのであるが、右確定後も依然として、右両名を右工事に人夫などとして従事せしめ、昭和三六年八月一七日に至るも前記確定命令を履行していないものである。」

二、原決定は〈1〉救済命令の趣旨を誤解して審理を尽さず〈2〉事実誤認、理由不備〈3〉裁判の範囲を逸脱し、経営に干渉する違法があるものである。

(救済命令の趣旨の誤解―審理不尽)

三、青森県地方労働委員会は岡山、松田に対し、救済命令を与えるについて、その理由を左の如く述べた(別紙命令書謄本疎第二号証と同一であるが、疏第二号証の写は理由省略している)。「凡そ配置転換は、従業員としては、経営者の方針に従わなければならず、時に若干の不利益な取扱を受けたとしても、之を甘受しなければならないものであるが、本件異動をみるに、余剰人員とは称するけれども、角田に対しては、その全部、小野、佐藤、柴山に対しては大部分従前の業務に就かしめており、ただ松田、岡山に対しては専ら雑役に従事せしめていることが明らかである。そうしてみれば、これを以て機動性と弾力性ある会社の運営を計るための異動であるとは到底首肯できない。けだしこの程度の機動性と弾力性ならば、強いて企画室に集結しなくても、会社就業規則を以て十分運用できると思われるからである。

果して然らば、右六名に対する異動は、前記認定した会社の第一組合員に対する態度に照らし、第一組合員であるが故の不利益取扱であると判断せざるを得なく、たとえ従事する労働内容が肉体的には従前と殆んど変りがないとしても、精神的苦痛―(「何れも将来の希望を失い、いつ馘首されるかも知れないという不安な境遇下に毎日の労働に従事している」との認定を指すものの如し)―が大である以上右認定を左右するに足りない」。

青森県地方労働委員会の命令を維持した中央労働委員会の判断は左の如くである。

「企画室に勤務させられていることは、個人にとつては不名誉なことであり、劣等感を抱きながら、将来に対する希望を失ないつつ毎日心理的にきわめて不安な状態で労働に従事していることが認められるのであつて」云々。

四、原決定は、抗告会社が形式的には救済命令を履行したが、実質的には履行していないと判断したものの如くである。

実質的には不履行があるか、どうかは、救済命令の全文によつて救済の趣旨が奈辺にあるかを明らかにしなければならない。救済命令の趣旨は主文のみによつて之を明らかにすることが出来ない。(その理論は民事訴訟の本案判決の既判力が主文と請求原因によつて特定せられ、訴訟判決が主文と判決理由によつて特定されると同様である)原職復帰の命令が発せられた場合でも例えば当該職場が存在しなくなつたときには、之に相当する他の職場に勤務せしめれば、命令不履行とならない(吾妻光俊編註解労働組合法五四五頁)。

右の場合原職に相当する職場であるか否かは、救済命令の理由を検討しなければ、之を明らかにすることが出来ないことに鑑みれば、その然ることが極めて明白である。

青森県地方労働委員会の救済命令の理由は結局、労働の内容は問題でないが、(従前と同一労働に従事せしめている者、例えば、角田、小野、佐藤、柴山に対しても不当労働行為が成立するというのであるから、労働内容を問題としていないことは疑問の余地がない)企画室勤務は、「将来の希望を失い、いつ馘首されるかも知れないという不安な境遇下に」あるので、不当労働行為を形成する、というのである。

中央労働委員会の判断も、大体同様である。

然るに、原決定は、前記の如く労働の内容を問題とし、「右確定後も依然として、右両名を右工事に人夫などとして従事せしめ」ていること(但し、後記の如く、労働内容についての原審の認定を争う)が、命令不履行であるというので、青森県地方労働委員会の認定理由と全く相反する。(労働内容を問題とするのであれば、岡山、松田が企画室所属当時の労働内容を確定し、それと、現在従事する労働と同様であることを認定しなければならない。然るに、原審は、岡山、松田が企画室所属当時の労働内容を確定することなく、「企画室所属の従業員と共に、、、、人夫などとして従事せしめ」と認定したのみである。企画室所属の従業員と共に、企画室の営繕以外の他の業務に従事せしめても、命令不履行であるというのであるか、原審の理由は、不明確極まると謂うべきである)記録には、青森県地方労働委員会の救済命令の抄本の写が添付されてあるのみである。原審がその全文を検討したことは、全記録を通じ、之を窺うことが出来ない。原審が救済命令の全文を検討しないで、たやすく過料の決定を為したことは軽卒の誹を免れない。

五、原審は須く、岡山、松田は原職復帰を命ぜられたが、「いつ馘首されるかも知れないという不安な境遇下に、毎日労働に従事している」かどうかを審理すべきであるのに、この点については何等考慮を払つた形跡がなく、決定理由に於ても、全然触れていない。

原決定は審理不尽であること明白で、取消を免れないものである。

(此の点について青森県地方労働委員会の調査員、審査係長館山弘は、疏第九号証調査報告書に於て、「この点同人等に対する今次発令は仮装的なものの如く思われないでもない、、、、なお期間経過後(工事完了)も引続き企画室の他の業務に就かしめた場合は、仮装原職復帰と見なされると思われる」と述べている。

この見解は、業務命令によつて―青森県地労委の所謂就業規則によつて―会社施設の建設工事に従事せしめるのは、止むを得ないが、建設工事完了後も、草取り、材木運搬等の雑役に従事せしめるに於ては、仮装原職復帰と認定すべく、若し、そうであれば、「いつ馘首されるか判らない不安な状態が継続する」と判断すべし、というにあるようである。

この見解に従うとしても工事が完了したかどうかを認定して、命令不履行なりや否やを判断すべきに、工事完了したりや否やについては全然考慮を払つていない。又両名が右のような状態にあるか、どうかは、両名の給与が他の者と比較して低いか、どうか、建設工事に従事しているもの―右両名以外に抗告会社の従業員の多数の者が建設工事に従事している―で退職を強要されたものがあるか、どうか等諸般の事情を調査すべきであるが、原審は、之等の点についても何等の考慮を払つていない。原審は審理を尽さないものであることは疑いの余地がない。)

(事実の誤認、理由不備)

六、原審は、右両名を「営業所拡張工事や、三沢営業所を中心とする三沢十鉄観光センターの建設工事に人夫などとして従事せしめ」云々と認定した。

「人夫など」の概念が明白でないが、原審は土工、又は工事の手伝等、判断力を要しない労働に従事せしめていると認定したものと思われる。

然し、同人等の従事した仕事は三沢営業所の建設、車庫の拡張、ガイド寮の建設、観光センターの建設工事等で、「岡山は大工、左官の仕事が上手で、なかなかの腕前があり、一寸した専門職以上なほどで、又松田もブロツク積みなど相棒として気心が合つているグループなので」(原審杉本行雄の供述)建設工事に従事せしめたので、労働の内容は自己の判断によつて仕事を進める労務で、単なる手伝いでない。

企画室発足当時は、会社施設の環境整備のため、所謂雑役に従事せしめたことがあるが、その後は全然そのようなことはない。

企画室営繕係に出向を命じて、建設工事に従事せしめているのである。

原審が「人夫など」として建設工事に従事せしめているというのは、証拠に基かない判断で事実誤認である。

又若し作業内容が問題になるとすれば人夫などの如き瞹昧な表現を用いることがなく、作業内容を明白にすべきである。

この点に於て、原決定は事実誤認のみならず理由不備である。

(経営権に対する干渉)

七、会社の業務は一定不動のものでない。

経済情勢の変動により業務内容が変り、又同一業務でも、機械化により従業員の数及業務内容の変動が生ずることは当然である。故に、従来ある業務に従事していた者がその業務が機械化されたため余剰人員を生じ、又は機械操作に不得手なため他の業務に従事せしめられることは当然あり得ることである。

抗告会社についてみれば、ある時期には観光施設の拡充に重点を置くことがあり、その場合には、業務命令によつて、施設拡充の労務に従事せしめる者もあるべく、又一年の内でも観光シーズンには、デスクワークに従事している者でも観光客接待の現業に従事せしめることもあるべく、斯ることは、営業権に基く業務命令によつて当然為し得ることである。

原審の見解によれば、両名の地位に不安があるなしに拘らず、又所謂原職の仕事が会社として、不急、不要であり余剰人員があつても、之に従事せしめなければならない、ということになる。

之は明らかに会社の経営に干渉するもので裁判の範囲を逸脱したものである。

(原審の如き考え方ではサービスを改善し、会社の業績を向上せしめることは、望み得べきもなく、企業の黒字経営は到底あり得ない)

(処分過重)

八、原審は、岡山、松田各一人について、各過料一〇万円に処した。

抗告人の主張が仮りに、見解の相違としても、既に述べた如く、同人等の地位に不安を与えた事実は全然なく、従つて、何等の実害がない。然るに、各過料一〇万円に処したのは、明らかに重きに過ぎるもので、不当である。

追加抗告理由書

抗告人 十和田観光電鉄株式会社

右の者に対する青森地方裁判所昭和三六年(ホ)第二号不当労働行為救済命令不履行過料事件の決定に対する抗告理由を、左の如く追加致します。

一、抗告人は、原決定は救済命令の趣旨を誤解し、

審理不尽の違法があるとして、左の如く主張した原審は、岡山、松田が「何れも将来の希望を失い、いつ馘首されるか知れないという不安な境遇下に毎日の労働に従事している」(青森地方労働委員会の判断)か、「劣等感を抱きながら、将来に対する希望を失ないつつ、毎日心理的にきわめて不安な状態で労働に従事している」(中央労働委員会の判断)かについて何等審理判断することなく、右両名が企画室勤務の他の職員と共に建設工事に従事していることのみを以て、救済命令不履行なりと断定するのは、救済命令の趣旨を誤解したものである。

右両名が、右のような状態にあるか、どうかは、両名の給与が他の者と比較して低いか、どうか、建設工事に従事している者で、退職を強要されたものがあるか、どうか等諸般の事情を調査すべきであるに拘らず、原審は之等の点についても何等の考慮を払わず、審理判断をしなかつた。

二、別紙疏明方法(昇給、賞与の表一によれば、岡山安太郎は、保線課勤務職員十六名中、基本給は工手長類家要之助、佐々木俊夫に次ぎ、昭和三十六年十二月の昇給額は、野村誠一に次いでいる。

又昭和三十六年十二月の賞与は右工手長両名に次いでいる。

右工手長両名は夫々昭和十六年及び昭和十一年の入社で年齢は夫々五十三歳及び五十歳である処、岡山安太郎は昭和二十年の入社で、年齢が三十二歳であるから、基本給、賞与が工手長より少いのが当然である。

年齢的に見れば岡山より年長の四十二歳の沼沢吉司郎、四十一歳の平館富雄、四十歳の山本達衛、三十七歳の谷地五郎、三十六歳の名久井田松は岡山より基本給はほぼ同額であるか、又は少く、賞与は右五名が岡山より少い。

又同年齢の小笠原一三は、岡山より基本給及び賞与何れも相当少い。

三、岡山安太郎の昇給、賞与が他の者より多いことは岡山が建設工事に従事し、功績があつたこと、抗告会社が之を認めたことを意味するものである。

「岡山は、大工、左官の仕事が上手でなかなかの腕前があり、一寸した専門職以上なほどで」(原審に於ける杉本行雄の供述)班長格として、建設工事に従事したので、抗告会社に於て、その功績を認め、昇給せしめ、賞与を与えたもので、抗告会社が、同人を重宝視こそすれ、厄介者と考えているものでないことは、たやすく推認し得るところである。

果して然らば岡山が「将来の希望を失い、いつ馘首されるかも知れないという不安な境遇下に」あるものではないことが明白である。

四、抗告会社は、岡山安太郎を線路の維持、補修より、建設工事(文化会館、その他の建設工事)に従事せしめる方が本人の能力を充分発揮せしめることが出来るとの判断の下に、建設工事に従事せしめ、その労働に対する報酬を支払つたのである。

原審の見解によれば、本人の能力の適否、従つて本人の得られるべき報酬の多寡を考慮する必要がなく、原職と同様の労働に従事せしめよというに帰する。

岡山安太郎が保線課の仕事のみに従事したならば前記の如く、昇給し、賞与を得られなかつたであろう。之が果して救済命令の趣旨であろうか、(原審における、小笠原源太郎の「保線工手の給与も他の従業員よりそれほどによくないので、保線課へ希望する者はありません」との供述、御参照尚、労働内容においても、小笠原源太郎の供述によれば保線工事の仕事は、岡山が従事した建設工事より遥かに過重であることが明白である)

五、抗告会社は、原決定は、経営権に対する干渉であると左の趣旨の主張をした。

会社の業務は一定不動のものでない。経済情勢の変動により、業務内容が変り、之に伴い配置転換を行なわなければならないことがあり又業務内容に変更がなくても、従前の業務に不適任であることが判明すれば配置転換は当然である。

青森県地方労働委員会も「凡そ、配置転換は従業員としては、経営者の方針に従わなければならず、時に若干の不利益な取扱を受けたとしても、之を甘受しなければならない」と判断した。

松田義実は、別紙疏明書類(健康診断個人表)によつて明らかである如く「赤緑色盲」である。

果して然らば、同人を鉄道部の駅務に従事せしめることが出来ないことは、言うを俟たない。

蓋し、同人の本務が運転関係の業務でないとしても、地方鉄道の少人数の駅においては他人の業務を代行しなければならないことが屡々あるので、松田を駅務に従事せしめれば、何時、如何なる重大事故を発生せしめるか知れないから、同人を駅務に従事せしめることができないことは明白である。

六、此の点に於て、原審の決定は、無理、否、会社経営の上からは、不可能を強いるもので、不法であることが明白である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例